ブルシット・ジョブ

デビッド・グレーバー

 本書はブルシットジョブの社会的意義を追求するものでない(前半は)。人はなぜ自分の仕事をブルシットジョブと思い悩むのかを論じる。楽で高給であっても意義を感じられない仕事を嫌うのはなぜか。
人が現実世界では意味を持たないゲームに興じるのはなぜか。
雇用とは労働者の時間を買うこと。労働者がその時間に労働しなければ盗みととらえられる。古代アテネでは人の時間、自由意志を購入するという発想はなかった。むしろ人間の存在にとって不名誉なことであった。雇用者は労働者の時間を買う。買った時間に余剰があったとしてもその時間は労働者の自由にはならない。ブルシットであっても無駄な作業を見出し、忙しそうなふりをすることを強いられてゆく。
自己である感覚、つまり自身をとりまく環境から独立しているという感覚の大半は、わたしたちが、そうした環境に対して予測可能な影響を与えられるという歓喜をともなう気付きによってもたらされている。それは幼児にとって真実であり、生涯にわたって真実であり続ける。ブルシットジョブはそのような歓喜を奪い取る。
 価値のある仕事とは何か、価値のあるものとは何か。人々の欲求を満たすものとするならば、それは主観的なものだ。
資本主義が出現する前にも賃労働はあった。それは働き始める最初の段階のみであった。奉公人と呼ばれる。その後自立し弟子(奉公人)を持つようになる。資本主義により生涯の賃労働が現れた。
貧困救済給付金の手続きの煩雑さ(ブルシットジョブ)、不正受給を上回る煩雑さにより受給をあきらめる人々。ベーシックインカムの意義。
普遍的ベーシックインカム、ケアリングに対する報酬、家事労働賃金運動。ケアリングに価格をつけることによる貨幣化、数量化、ブルシット化。
 ベーシックインカムの究極の目的は生活から労働を切り離すことにある。
 ベーシックインカムの設定により多くの国家機構、役所が不要となる。(アナキー)
 ベーシックインカムによりブルシットな仕事を選択する人はなくなる。誰も働かなくなると言うだろう。一定の層はそうなるだろうが、それが10、20%を超えるとは思えない。現在のブルシットジョブの比率よりは低いだろう。本当に自由な社会とはどのようなものか。
 

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