もてるための哲学

情熱とは:
プラトンは人間は死すべき存在であり、それゆえ永遠の理想(イデア)を求めるものだと説く。哲学には3大愛がある。恋愛を意味するエロース、キリストの無償の愛を意味する「アガペー(相手を自分のこと以上に思う)」友愛を意味する「フィリア(相手を自分と同じに思う)」。エロースは相手よりも自分のことを思っている。彼女(彼氏)のことを思っている自分に酔っている。エロースこそが情熱の正体。恋愛には限らない。度を越さないことが大事である。

感情とは:
近代では感情は理性の端女として軽んじられてきた。政治でも科学でも理性万能主義者はただの頭でっかちを生み、人間を殺戮の恐怖に陥れた。近年感情に対する理解は急速に進化し、人の思考、判断、行動を支える重要な基盤であると認識される。

「いき」とは遊郭で生まれた美意識。媚態、意気地、あきらめ、からなる。相手を束縛しない距離感が「いき」の重要な要素。意気地とは異性にもたれかからない心の強み。あきらめとは仏教の世界観に基づく「流転や無常」を前提にした要素。恋愛関係を含めどんな人間関係もやがては解消される。それにこだわることなく、新たな人間関係を生み出すことが大事である。

 「やまと言葉で哲学する」竹内整一
信じるということは全てを預けるということであって、結果がどうであろうと、それはどうでもいい。だから裏切られるという概念が生じる余地はない。これに対していい結果だけを信じるというのは、あてにするということにすぎず、本来の意味での信じるとは異なる。

 「日本文化論キーワード」
日本社会の深層には、日常の人間関係に人知を超えた縁の超自然的な力が働いているという思想が存在する。
 日本は世界有数の無宗教国家。ところが多くの人が宗教的生活を営み、宗教的思想を抱いて生きている。食事の際には神に感謝して「いただきます」といい、葬式を仏式で営む。「罰が当たる」「ご縁がある」も同様。日本人は縁を大切にする。個人よりも人間関係を優先する。

「日本人の思惟方法」中村元
 日本語では一人称の主語をしばしば省略する。文章の内のこのような主語は我及び汝が素材化され客体化されたことを示すものであるが、それがしばしば欠如するということは、日本人は行為的主体の有者として表象すること、あるいは限定することを好まないという事実を表している。したがって日本人は個別的な独立の行為主体としての人格という意識を明瞭にしたがらない。これの原因は日本の風土の特殊な状況が影響していると見られる。局地的な小規模農家による集団生活が、閉鎖的な人間関係を形成してきた。それゆえ人々のあいだに直感的な理解が成立し、自己の主張や意向を強硬に貫こうとすると、相手の感情を傷つけ、自分も損をする。そこで日本人はあたかも家族のような生活環境のゆえに、感情的、情緒的なひとつの雰囲気の中でとけうという理解と表現の形式を成立させた。

寛容
 本を読んでいる人に話しかけると気さくに応じてくれるが、ケータイを見ている人は愛想が悪い。オープンスペースでケータイという私的空間に入り込むというのは、外部からのコミュニケーションを拒否している。本を読むというのは、世界を広げようという行為。
「コミュニケーション的行為の理論」ハーバーマス
 人を説得するために用いる理性は、人を目的達成の手段としてしまうような「道具的理性」。相手を尊重し、ともに合意を目指そうとする理性を「コミュニケーション的理性」と呼ぶ。議論する際、相手の立場を尊重しなければコミュニケーションは成り立たない。コミュニケーション的理性に基づく対話は、目的を達するために命令や欺瞞などによって、力ずくで相相手の意思決定に影響を及ぼそうとする戦略的行為とは異なる。
 近世の西洋社会では、国家がカトリック教会と結託することによって、人々に一定の教義を押し付けてきた。それが宗教戦争や宗教改革を経て、しだいにほかの宗教の存在を認めるように変化してきた。もともと寛容とはほかの宗教に対する寛容を意味した。